東日本大震災 東京で検証する 1

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3月11日午後2時、
当時、私は東京の代々木事務所でコンサルティング会社の方と
打ち合わせをしておりました。

二人で白熱した意見交換で盛り上がっていたときに
大地震が起きました。

テーブルの飲み物は揺れ、吊戸棚はパタパタ開き、
かつて経験しなかった程の揺れに大変、不安を覚えました。
コンサルティング会社の方は若手の方でしたので、
当方を見つめながらとても動揺していた様子でした。

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揺れは大きく、長い時間続きましたが、大型船のような大らかな揺れだったせいか、
事務所内の棚は大きな落下物は特になかったようです。

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ファイルが前後しているくらいでした。

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暫くは事務所内で情報収集、
コンサルティング氏は携帯で会社にメールで連絡を取っているようです。

後からの情報ですが、ソフトバンクのメールは早い時点で繋がったようですね。

このときは携帯メールは繋がらなかったので、
持参していたノートPCで会社に連絡を取ったようです。

こちらのワンルームマンションは柱や壁が多く、
1981年の新耐震基準をクリアしていることで室内にとどまっていましたが、
前の明治通りに人だかりが出来ていたので、
我らも一旦、そとに出ることにしました。

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まばらなように見えますが、
目を凝らすと遠くのほうでは人の山です。
隣の料理学校の生徒さん建ちです。

鍋やフランパン片手に着の身着のまま、、、
ではなかったようですが、

築年数が古いようで明治通りに避難していた方の話によると、
明らかに他の建物より大きく揺れていたとのことでした。

電車が全てストップで、会社に帰ることも出来ないコンサル氏は
お父上と合流して自宅の足立区まで歩いて戻られました。

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夜の明治通りです。
渋谷から新宿方面へ歩く人の波、
まるで初詣でした。

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早々に閉店をしてしまっているファストフード店、

世界基準の防災対策なのでしょうか。

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コンビニに入ると、早々に無くなっていたカップ麺の陳列棚。
考えることは一緒ですね。

普段は四割程度の中華料理屋さんは満席でした。

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駅前では駅のシャッターが閉まり、
バスを待つ大行列が出来ていました。

3月でも夜はかなり冷えます。
駅のような公共性の高い場所には暖や情報がとりやすい場所が確保されるとよいと思いました。

再びコンビに立ち寄ると、
ヒールを履く、帰宅者がスポーツシューズを求めておりました。

底の暑い靴を一足、用意しておくのがサバイバルを乗り切る第一歩かも知れません。

つづく。

shige

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